2009年02月01日

無言のカラス

例えば、夏のそれは文字通り刺すようである。気温以上に暖かく感じるのは、鹿児島の陽光が強いからだ。
猫は音もなく石垣を渡るから、庭木の梢でヒヨドリが、蒼穹でトビが啼く以外に音はない。
日曜の朝は静かである。

布団を干そうと二階のベランダに上がると、我が家の前のワンルームマンションの入り口付近の路上に、怪しい中年男が所在な気に立っているのが目に入った。
時折、たばこをふかし、側溝に投げ込んでは、またたばこをくわえている。たばこ喫みはマナーが悪いなと、布団を叩きながら、更に観察する。
白髪混じりのオールバックに、人相の悪さを強調する深い皺、がっちりした体躯、こちらの視線など意に介していないようである。

庭に降り、草むしりなどしながら、更に様子を伺っていると、男は矢庭に携帯電話を取り出し、
「終わりましたか。はい」
と、言って、ズボンのポケットにしまった。
鹿児島弁ではない。

数分後、帽子を目深にかぶった、あどけない表情の小柄な若い女が、コートのポケットに両手を突っ込み、マンションの外階段を下りてきた。
一仕事終えたという達成感だろうか、何やら自信に満ちた態度で、殺し屋のような狂気を発している。
女は男と短く言葉を交わすと、男が運転する白い旧式の国産車で立ち去った。
なるほど、そういう商売の女と、その運転手かと合点した。

人間なるものの滑稽さに苦笑いしながら、春香漂う庭先に箒目を立てる私を、電線に佇むハシボソガラスが小首を傾げて見下ろしている。
風はない。陽が高くなってきた。


posted by テイト at 15:24| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今年も食べない!

皆さん、コンビニの売らんかなの戦略に引っかかってはいけません!

http://blogs.dion.ne.jp/tateyama/archives/5018185.html
posted by テイト at 20:28| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月02日

反省の色が見られるなら、食べても良し。

2年前のブログを使い回してまでの反コンビニ・キャンペーン、闘争の結末であります。

http://blogs.dion.ne.jp/tateyama/archives/5020133.html
posted by テイト at 09:59| Comment(2) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

我が胸の燃ゆる思いにくらぶれば煙は薄し桜島山

その度に、無駄な過去など無いと言い聞かせるのだが、取り戻さなければならぬ時間があるような気がして、焦燥感にかられることがある。

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2009年02月03日

節分

村雨に庭の芭蕉の葉が、真珠の指輪の如く雫を集め、ピアニストの指のように折れている。
猫が石塀を往来している。雨は直に止むだろう。
子供のような気持ちになれるから、この間の雨上がりのように、虹が覗くといいんだが。

さて、今日は節分である。
節分と言えば豆まき、そして、巻き寿司というのが、近年の定番だ。
近所のスーパーでは、いつもの太巻きが、『やる鬼巻』と名前を変えて売られている。もはや節分の恵方巻きは国家的行事だ。節分も祭日にするよう総理大臣に陳情しよう。
今年の恵方は東北東、鹿児島の我が家からは桜島の方向を向けば良いことになる。
大きな太巻きを、無言で丸かじりすれば、無病息災、家内安全、商売繁盛、佳いこと尽くめだ。

善行は柔軟に取り入れるのが、『テイト・スタイル』なんである。
そうなっちゃいます!?

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2009年02月05日

戦利品

母が巻き寿司を買ってくるとは不覚であったが、かくして、今年も恵方巻きとの戦いは終わった。
そして、立春。
鹿児島は春の日である。

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春の海


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2009年02月10日

指宿(いぶすき)の朝

陽が高くなると、遠く開聞の山の端が霞み出す。
春分までまだ一月あるが、太陽が日本へ回帰しつつあるのは明らかだ。

かあかあと、電柱で呼応しあう番いの鴉。
国道沿いに賑やかだった菜の花は終わり、代わりに紫のすみれなどが座っている。
重い走りのトラックに犇めく和牛の黒真珠のような瞳。幼稚園の朝礼のように、かわいい空豆が並ぶのは軽トラックの荷台だ。

満開の紅梅の枝越しに、蒼天高く鳶が輪を描く。
潮の香も漂う。海も近い。

指宿の朝、流れる時は海のようにのたりのたりである。

*昨年、NHKの大河ドラマ『篤姫』の故郷として登場し、一躍脚光を浴びた指宿は、鹿児島県薩摩半島南端の、温泉で有名な風光明媚な観光の街。

温暖な気候が育むオクラや空豆などの美味しい農作物の全国的産地であり、南蛮貿易の主要地として栄えた山川港を抱え、海の幸も豊富である。

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2009年02月15日

Bon appétit! きりたんぽ

父の姉の夫で、亡くなって5年になる伯父は、長く東京都青梅市に住んでいたので、青梅の伯父さんと呼ばれていたが、実は秋田の出身だった。
もう30年ほど前、その青梅の伯父さんが、鹿児島に遊びにいらした際に作って下さったのがきりたんぽである。

東京世田谷は桜新町にある 居酒屋『鳥海』は、店名が示す通り秋田の郷土料理がおいしい。大将は、私を密かにジャン・ピエールと呼んでいたとして、以前、 本ブログにも登場した俊ちゃんだ。

その俊ちゃんの店 で、きりたんぽ鍋をいただいたのは、昨年末の東京滞在時のこと。言われた通り、きりたんぽに火が通り過ぎないうちにいただいたが、表面の焦げの香ばしさが損なわれず、抜群に美味しかった。

今冬、鍋を囲む機会が少ないのは、暖冬の影響が大きい。
2月だというのに、昨日、今日と、ジャン・ピエールはTシャツで過ごしているのだよ。マダム。

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2009年02月16日

春聴

雨上がりに色を濃くしたアスファルトを、ぶち猫が横切る朝ぼらけ。
夜の間に落ちた椿は痛々しく、南風に雲が離合集散する空を一羽の鴉が渡る。
咳が一つ出る。
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東京タワーとエッフェル塔

『タワー対決』と題された、東京タワーとエッフェル塔の比較論を興味深く拝読したのは、パリを通じての友人(パリ友)、yumimbowさんのブログである。

パリでも、日本のアニメや、ゴシック・アンド・ロリータ(ゴスロリ)といった近代文化に関心の高い若者が多かったので、取材の謝礼にキティちゃんグッズなどを配ったものであったが、原宿、新宿、浅草、秋葉原、そして銀座と、多様な顔を持つ東京は、首都機能のみならず、日本を代表する文化の中心地である。

他に外国の観光客に推薦出来るのは、古都と呼ばれる、京都、奈良くらいで、残念ながら我が街鹿児島市も、美しい桜島がなければ、他の地方都市同様、東京を模した小都市でしかない。
(ただし、桜島、指宿、霧島、内之浦、屋久島、種子島、奄美諸島など、海、山、島の揃う鹿児島の豊かな自然は、他に類を見ない。)

つまり、都市計画が、各地の自然や風土を無視し、リトル東京を目標としてきたが故に、日本の都市は、どこも代わり映えのしない、没個性的なのっぺりした景色に変貌してしまったのである。
これは、日本を模倣して都市計画を進める、韓国や中国など、東アジアの街にも言えることだ。

また、パリにも、パリらしからぬ、ラ・デファンスという近代高層ビル地区があり、石畳なら目立たぬ塵芥が、ガラスを多用した近代建築群を舞っている。ガラスは、清掃が苦手なフランス人には、相応しくない素材だ。

さて、建設当初は醜悪な建造物として、例えばモーパッサンが毛嫌いしたと伝えられるエッフェル塔だが、それを真似たのが東京タワーである。
どちらも、今では街を代表する建造物へと成長した。

東京タワーもエッフェル塔も、イルミネーション輝く夜に眺めるのが、私は好きである。

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Site Tate
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2009年02月19日

Tatechan's Eleven

今期、湘南ベルマーレの監督に就任した友人の反町康治君が、全日空のサラリーマンのまま、発足直後のJリーグ横浜フリューゲルスの選手として活躍したのに触発され、1995年に設立し、ヴルケーノA.C.と命名した草サッカーチームのユニフォームが、東京時代の段ボール箱から出てきた。

ヴルケーノとは火山のイタリア語で、火の神様をモチーフとするエンブレムを配った、ワインレッドとネイビーブルーの縦縞のシャツのデザインから、年20回ほどの試合のアレンジまで、選手兼チェアマンとして私一人で担っていたのだから、我が善き時代である。

それがご縁で、引退するJリーグ選手のセレモニーの演出をお引き受けしたり、日本代表の監督をされた加茂周さんを、鹿児島にお連れしたこともあった。

私は三浦知良選手に似ているらしく、背番号は11。前出の反町君にも参加いただき、彼はフリューゲルスで着けていた7番である。多い時は60人を越す大所帯となり、70番、80番と、ヨーロッパのクラブチームばりの、大きな数字のユニフォームの発注も記憶に鮮明だ。

東京の同級生、鹿児島出身の先輩後輩、そして、その友人たちが次々と参加し、銀行員から役者まで、職種は硬軟色々。加えて、フランス、スコットランド、韓国、オーストラリアと国籍もバラエティに富み、だから、試合中は日本語は勿論、英語、フランス語、鹿児島弁が飛び交ったものである。

その当時、大学生だった鹿児島出身のメンバー達との久し振りの再会は、今年の1月2日のこと。皆、今では立派な社会人で、「ご無沙汰して申し訳ございません。」などと、生意気な口をきくのである。

鹿児島の繁華街である天文館で、懐かしい話に花が咲き、夜遅くまで盛り上がったのだが、残念ながら途中で記憶は途絶えている。

ボールを追って走り回り、ゲーム後は大勢で飲み歩いた時代が夢のようだが、それは仕方がない。同級生が、もうベテラン監督の時代なのだから。
posted by テイト at 21:46| Comment(2) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月21日

夜景画


20050420.jpgパリの寒さに慣れた頃だった。
取材を終え日本に原稿を送ると、ゴッホが夜のカフェテラスで描いたような、蒼い夜である。
パリのレストランは、8時オープンが普通だから、日本人には馴染みの薄い『夕食前のひと時』が存在する。これを思い思いに過ごす人々が三々五々集うカフェで、パスティスをひっかける。ストーブでとった暖の勢いで、また、あてもなく歩く。

同じように並ぶ7階建てのアパルトマンが途切れる小径から、綺羅をまとうエッフェル塔が左手に覗くから、北へ向かっているらしい。しかし、いつもはオルセーへ向かう観光客で賑わうベルシャス通りなのに、人影まばらで、しばらくどこにいるのかわからない。

20050918ae5ff7ff.jpg正面に見える、バトームッシュの明かりに照らされたマロニエの枯れ木立はチュイルリー公園だ。セーヌが近いと知る。
帽子を目深にかぶった男の遊ばせる犬の、爪で叩く石畳の音が、街灯に冷たく響く。

自分だけの時間は、セーヌのように、蕩々と穏やかであった。



posted by テイト at 16:51| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月25日

感情の再生

直接、或は間接的に、私たち現代の演劇人は、よりリアルな演技を目標に、俳優自身の体験や役の心理分析を重視する、100年ほど前のロシアの演出家コンスタンチン・スタニスラフスキーが提唱した、『スタニスラフスキー・システム』の影響下にある。

『夢判断』で膾炙するジークムント・フロイト(心理学者)の時代に生まれたこの理論によると、いかに記憶力の良い人でも、7年前の感情を再生させることは難しいのだという。
例えば、昨日の、会社の上司との喧嘩の、殺意が芽生えるほどの怒りは、今日、思い出しても、やはり腸が煮えくり返るほどの憤りとして込み上げてくるのが、一般的だろう。ところが、7年前の出来事となると、その日、喧嘩して立腹したことは覚えていても、その当時のように身体が震えたり、発汗があったりという、生理現象が伴うほどの感情の蘇生は、不可能だと説いているのである。

私のような愚人は7年はおろか、3年前の事象すら、記憶から消失していることがある。その分、ストレスも少ないが、感動の持続も短期間で、まるで恩知らずな人のようだと、忸怩たる思いがある。

ところで、3年前といえば、私はパリにいた。
http://blogs.dion.ne.jp/tateyama/archives/2006-02-1.html
『夜景画』と題した今月21日のブログは、パリ時代のやはり駄文と比し、感動の鮮度に応じ、臨場感に欠けている。
一抹の寂しさを覚えるが、スタニスラフスキー・システムの定説通りということになる。

しかし、老人の繰り言のように、時代を経た想い出話の方が味わい深いこともある。私のパリの記憶も、美味しいワインのように熟成を待った方がいいのかもしれない。

http://sitetate.exblog.jp/9388643/
posted by テイト at 17:09| Comment(7) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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