途中、デジカメを掏られたので写真がないのは残念だが、太陽に嫌われたパリを脱出し、南仏へ向かったのは2006年2月のことである。
暁のパリ・オルリー空港からニースへ飛び、エズ、モナコ、マントン、そしてヴェンティミーリアと、コートダジュール沿いの街を鉄道やバスを乗り継いでイタリアへ向かい、また、ニースへ戻るという2泊の旅程だった。
パリからの旅人にとって、アフリカからの暖かい風に霞む地中海の光景は、凍える夜のシチューのような馳走だった。
心癒される旅も終わり、パリへのフライトを待つコート・ダジュール空港(ニース)にて、東京の友人で、フランス人のアンドレさんにばったり出くわしたのには驚いた。1995年に私が東京で興したサッカーチームのメンバーでもあったアンドレさんは、ニースの知己を訪ねての帰路だったとのことだが、ニース出身でもなく、普段は日本に住んでいる彼の、2回目のニース訪問と重なったのだから、その遭遇は天文学的な確率だ。
かようなリヴィェラでの様々なエピソードを思い出させたのは、YouTubeで見つけたマスネ作曲の『タイスの瞑想曲』の映像である。
パリ・オペラ座を設計したシャルル・ガルニエによる、モンテカルロ国営カジノが壮麗だ。