2009年06月28日

遠雷

無意識に心の澱みが撹拌されるのが夢であろう。舞い上がる上澄みにキラキラ輝くのは、功名心や虚栄心に緊張感の混合する俳優時代の記憶である。
演出家に転じて15年にもなるというのに、未だに舞台に上がる夢を見る。
それも、台詞はおろか、何という芝居の何役かも不明のまま、鎧やら羽根やらの大仰な衣装を着せられ、煌煌と照らされた舞台に仁王立ちしている夢である。

帝国劇場かバスチーユのオペラ座か。どうやら大劇場でのシェークスピアか時代劇らしく、城壁やギリシャ式円柱などの重厚なセットに囲まれている。客席が満員なのはそのざわめきでわかる。
スポットライトの眩しさに瞳孔がきゅっと閉じ、舞台中央で口を開こうとし、立ち往生するところで夢は途切れ、目覚めると安堵の溜め息を漏らすのが常だ。

しかし、激しい雷雨に見舞われた今朝のそれは、一つの真理を示唆するさらに踏み込んだものであった。
いつもの夢のように舞台袖で出番を待っていると、小太りでまぶたの重い、いかにも劇団の演出部にいそうな若い男性スタッフが涼しい顔で言い放つ。
「出番はもうありません」
メイクを施し衣装に着替え、役のために労を厭わず、まさに舞台に躍り出んというところで、出ずともよいとは何たる非礼。しかも、最終判決の如き"もう"と修辞された憎々しい宣いよう。
例によって、何の芝居の何の役だかもわからぬのに憤怒する私。
「プロデューサーを呼んで来なさい」
困惑顔の男に、怒りを押し殺し、そう伝えたところで、はっとして目覚める。

雨垂れが屋根を不規則に打っている。一瞬の閃光の後、遠雷が轟く。薄明かりの中、枕を裏返し、天井の板の目の幾何学模様を目で追うのは夢を反芻しているからである。

台詞などアドリブで繕うか、でなければ無言を貫くことで凌げるもので、かような焦燥など役があってこその贅沢なトラブルだ。
それに比し、出番がない、即ちあなたは不要であるとの、屈辱にまみれた救い難い宣告の、いかに残酷なことか。
払暁の夢は本当に怖いのは過ちではなく、期待されぬことであるとの私の意志をあぶり出したものであろう。

朝の空腹を感じぬまま洗面へ起き出る。雨脚はますます強まり、おそらく雷は海に落ちた。


posted by テイト at 23:20| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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